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こぶとり

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             日本むかし話7 「こぶとり」  瀬川康男・絵  松谷みよ子・文  
                        2003年 フレーベル館



みなさんの知っている「こぶとり」もしくは「こぶとりじいさん」は、どんなお話ですか?


私の昔読んだのは、こんな話でした。

むかしむかし。
ある所に ほっぺに大きなこぶのある お爺さんがいました。
ある日 お爺さんは山へたきぎをとりに行きましたが、雨に降られてしまいました。
木の洞で雨宿りをしていると 外はすっかり暗くなってしまいました。
やがて どっし どっし と足音をさせ
鬼たちが集まってきました。
鬼たちは 洞の中にお爺さんがいるのも知らないで 酒盛りをはじめ
楽しそうに歌ったり 踊ったりしました。
お爺さんは踊りが大好き。自分も踊りたくて仕方がありません。
えい!っと思い切って鬼の前にまかり出て 自慢の踊りを披露しました。
あまりの上手さに鬼は大喜び。
「爺さん 明日の晩も来ておくれ。それまでこれは預かっておくぞ。」
スポン! お爺さんのこぶを きれいさっぱり もぎ取ってくれました。
お爺さんは大喜び。
家へ帰ると みんなに山での出来事を話して聞かせます。
それを聞いた 隣に住むお爺さん。これまたこぶあり爺さん。
こぶを取ってもらおうと 代りに山へ出かけます。
ところが下手な踊りに 鬼は立腹。
「帰れ 帰れ。ほら、預かり物は返してやるぞ!」



一方、松谷&瀬川コンビのこのお話はというと。


「むかしむかし ある所に」
うん、ここまでは同じ。

「ほっぺたに こぶをつけた じいさまが ふたり いてねぇ」
ほう。最初から二人だ。

二人のじいさまは 会うたびに こぶが邪魔だと嘆いておったそうじゃ。
それでついに 神さまにお願いしにいこうや という話になり
米や味噌をしょって 山のお堂に籠もったんだそうじゃ。
すると ある夜のこと。
遠くから 笛の音 太鼓の音 お囃子が聞こえてきたんじゃ。
音はどんどん近くなる。 じいさまたちは おっかねぇよう と震え上がる。
ついに。
ぐわらっ と お堂の戸が開いて 大きな 天狗どもが入ってきた。
とれれ とひゃら すととん・・・
と お囃子ばかりなのに 天狗も飽きてきてねぇ。
「つまらんなぁ、お囃子ばかりで 舞い手がおらん」
「だれか 舞い手は おらんかなあ」
ちょうどそのとき じいさまたちは 天狗に見つかってしまったんじゃ。
「ちょうどいい。 じじい ここへ出て 舞え 舞え」

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まず ひとりのじいさまが つかまった。
じいさまは 怖かったけんど 笛や太鼓が始まると あら不思議。
ひとりでに 手足が上がって お堂狭しと みごとに踊ってみせたのじゃ。
天狗たちは大喜び。だがひとつだけ 気に入らぬ。
「お前の ほっぺたに ついている そのこぶが 目障りでいかん」
あっという間に じいさまの こぶを ぽん! と取ってしまいよった。
さて次は もう一人のじいさまの番じゃ。

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天狗たちが 嬉しそうに お囃子を始めたが
こっちのじいさまは 怖くて怖くて 動けない。
「それ 舞わんかい!」
じいさま 膝はガクガク 腰はヘタヘタ 歯はガチガチ 鼻水も タラタラ。
「なんじゃい。もうちっと 威勢よく やらんかい!」
天狗の怒鳴り声を聞いて じいさま いよいよ縮み上がり
「わぁーん わぁーん」 と 泣き出す始末じゃ。
天狗たちは すっかり興醒め。
「お前のような腰抜けは 二度と見たくないわい」
ぱしっ!
と さっきのじいさまから取ったこぶを こっちのじいさまの 
ほっぺたへ くっつけてしまいよった。
こぶが二つになった じいさまは また「わあわあ」と泣くばかり。
でももう どうすることも できなかったって。
天狗は つまらなそうな顔をして さっさと 行ってしまったとさ。



この絵本は話も面白いけど、瀬川康男さんの描く天狗の表情の変化が何とも可笑しいのです。

実は、私は昔から、この「こぶとり」の話を不思議に思っていました。
なぜなら、私の知っていた話には、「意地悪爺さん」も「欲張り爺さん」も登場しないからです。
昔話というのは、大抵は悪者や意地悪な人が懲らしめられるようにできているのに、
踊りが下手なだけで懲らしめられるなんて、それはあな恐ろしや。

それはさておき。
「こぶとり」の類似物語というのは、世界中に分布しているそうです。
日本では「宇治拾遺物語」に見られ、そこでは「ものうらやみはせまじきことなりとか」と書かれています。
また、江戸初期の「醒睡笑」にも登場しています。

とある絵本作家の講演会で聞いたことですが、最近は昔話を知らない子どもが多いそうです。
その作家は「誰でも知ってる有名な話」のパロディーを作ることを得意としていますが、
元の話を知らぬ子どもの何と多いことか、と嘆いていました。
私も数年前まで学習塾で国語を教えていましたが、
「イソップ物語」を知らない中学生が普通に存在することに驚愕したものです。

元来が口承文芸ですから、昔話に「これが正解」というのはないのかも知れませんが、
一応の基本骨子というものは存在しています。
変化やパロディーを笑えるのは、基本が他にあるからなのです。


さて、現在の私。やはり「こぶとり」には、
他人を羨んだり、欲張ったりするお爺さんは出てこなくていいと思っています。
幸運も不運も、必ずしも因果応報的に現れるとは限りません。
芸は身を助けることもあるでしょう。でも、芸は身の仇なんて言葉もありますしね。
何にも悪いことなんてしてないのに、災難に遭うことだってありますよ。
ま、人生なんて、そーゆーもんですね。


ということで、私の一番共感できる「こぶとり」の解釈は、これですね。


    ・・・この物語には所謂「不正」の事件は、一つも無かつたのに、それでも
   不幸な人が出てしまつたのである。それゆゑ、この瘤取り物語から、日常
   倫理の教訓を抽出しようとすると、たいへんややこしい事になつて来るのである。
   ・・・(中略)・・・性格の悲喜劇といふものです。人間生活の底には、いつも、
   この問題が流れてゐます。            (太宰治「瘤取り」より)
   
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by haruno-urarano | 2009-08-06 17:13 | 日本の絵本