ほん・ほん・絵本 

uraraehon.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:本( 9 )

遠い日の風景から 

今日の画集はこちら

d0116262_9303974.jpg

                 藤城清治メロディーブック「遠い日の風景から」 
                    絵と文・藤城清治 昭和59年 講談社


この本を買ったのも
もうずいぶん「遠い日」のことになってしまったような気がする。
当時「銀河鉄道の夜」で藤城清治さんの大ファンになり、
藤城さんの本を好んで買っていた。

「メロディーブック」とある通り
この画集は表紙の次ページにオルゴールチップが埋め込まれていて、
表紙を開くと光に反応して「マイウェイ」が流れる仕掛けになっていた。

d0116262_9425631.jpg


当時の「最新型」オルゴールチップ使用ですよ。

d0116262_946217.jpg


奥付のページには
電池の寿命は約120時間、曲の演奏は約2万回
と書いてあるけれど
たぶん数十時間、数百回も聞かないうちに
オルゴールはうんともすんとも言わなくなってしまったような気がした。

d0116262_10123666.jpg


画集の出版から約30年の月日が流れた。
藤城清治さんは今年の4月17日で89歳になる。

4月26日、那須高原に藤城清治美術館がオープンします(誕生日じゃないのがちょっと残念)。

20年前、昇仙峡ではじめて藤城さんの本物の影絵を見たときの感激と感動は
今でも鮮明に覚えている。
昇仙峡にまた行きたいとずっと思っていたが、なかなかチャンスが訪れない。
那須高原ならちょっとは近い。是非行ってみようと思う。


那須高原藤城清治美術館→HM
[PR]
by haruno-urarano | 2013-04-14 09:46 |

初めて好きになった作家、一番熱中した作家

数年間、いつもいつも記事にしようとしていて、
ついに間に合わないまま、死んでしまった。

北杜夫。

d0116262_0544044.jpg



あとでゆっくり記事を書く・・・かも。 そのうち。
[PR]
by haruno-urarano | 2011-11-17 00:55 |

うちゅうの目

今日の詩集はこちら


d0116262_18551741.jpg

                         まど・みちお詩集 「うちゅうの目」 
                               詩/まど・みちお 
                    写真/奈良美智、川内倫子、長野陽一、梶井照陰
                               2010年 フォイル




2010年11月16日。 今日は まどさんの 101回目の お誕生日。


d0116262_229598.jpg



自分はまだ まどさんの半分も 生きてはいない。
だのになにを いっぱい生きた つもりでいるのだ。
自分がもし まどさんと同じだけ 生きるとして
いったいなにを するというのだ。


d0116262_22184247.jpg



虫に生まれようが 魚に生まれようが 豚に生まれようが
みんな同じ 一度しか生きない いのちなのに
にんげんの一生だけが なぜそんなに 貴いつもりでいるのか。
いつかにんげんより 大きないきものに
ぺろっと 食べられてしまう そんな気がする。



       アリを見ると 
       アリに たいして
       なんとなく 
       もうしわけ ありません
       みたいなことに なる
   
       いのちの 大きさは
       だれだって 
       おなじなのに
       こっちは そのいれものだけが
       こんなに
       ばかでっかくて・・・
                  (「アリ」 1975年)


d0116262_22483853.jpg

[PR]
by haruno-urarano | 2010-11-16 19:02 |

語前語後

今日の本はこちら


d0116262_18181437.jpg

                  「語前語後}  安野光雅  2008年  朝日新聞出版




今はもう絶版となっている安野さんのとある文庫本の解説で、「あんみつ会」なる結社のあることを知った。
20年以上昔のことなので、今もあるのかどうかは知らないけれど、秘かにずっと入会したいと思っていた。
安野さんの記事なら何でも切りぬく人。装丁本なら中身はどうでも、カバーが欲しいために本を買う人。
毎日毎日サンタ・アンノさんと言って「かいわれサンド」を食べる人・・・
こと安野さんに関しては冷静に批評することができない、そんな素敵な御仁方のお集まりだそうだ。


私も、安野さんのものなら何でも欲しい。安野さんの描いたカバーが欲しくて買った本がいくつもある。
でも安野さんの作品はあまりにも多くて、残念ながら何でも買えるような資金はない。
買いたいなー、でも高いなー、なんて思っているうちに、そのうち絶版。ああ悔しい。


久しぶりに買った安野さんのエッセー集。
安野さんに関して私に批評精神などあるはずがない。
全てのエッセーが、まるで有り難い経典のように心に沁みる。
何を隠そう、安野さんは「かいわれのみち」という新興宗教のご教祖さまなのだ。
ありがたいお教えを、いくつか抜粋。


車の修理ができあがった。乗ってみたら、運転席がうんと後ろのほうに引いてあった。後日、その修理技師に言った嫌み・・・。
「車を返すときはな、足の長い男に運転させるな。どうしても人がいなかったら、車から降りたあと、座席を前に引いておけ。そして、あの自動車屋の男は足が短いのかな、と思わせるのが商売ってえものだよ」と言えば、「そりゃあ気がつきませんでした」と言った。爾来、その自動車屋ののっぽは肩身の狭い思いをし、店は繁盛している。




子どものころ読んだ田河水泡の「のらくろ」の漫画に、犬と猿の戦いがあって、寝ている猿軍の目に赤いセロハンを貼り、「火事だあ!」と叫ぶと、猿は大慌てで右往左往するのであった。昔、寄宿舎生活をしていたころ、Kという友達が昼寝をしていて、たまたま赤いセロハンがあったので、漫画のことを思い出し、同じことをやったら、当人、驚いたのなんの。申し訳ないことをした。
この話を絵の恩師の前で話したら大笑いになったが、「おまえな、わしが学生のころな、寝ているやつのパンツの中に味噌を入れといた。するとどうなるか。これはおもしろいぞ」と言われた。わたしにはどうしてもできない。




「週刊新潮」に「掲示板」という、尋ね人みたいな私的なことでもいいから、たくさんの人に聞いてみる、というページがある。わたしは常々「上げ底」の商品が目に余ると思っていたから、「上げ底でないものを知りたい。たとえば開新堂のクッキーは、缶の中にきっしり詰まっていて気持ちが良い。だから評判が良くて、なかなか手に入らないほどだ」と書いた。(後略)



半年ほど前、約十年続けた簡易保険が満期になって1200万円くらい戻ってきた。このお金は銀行振り込みではなく、古式に則って直接持参し、目の前で勘定して手渡しするのが規則だそうで、事実、そのとおりにされた。思わぬ出来事でうれしかったが、計算すると、掛けた総金額よりも、帰ってきたのは400万円くらい少なかった。なるほど、アラブ諸国では保険が御法度だと聞いた。いわば命を賭けた博打だからだ。



・・・博打と保険、なるほどね。でも「賭けた」額にもうなってしまった。
だが凡人と比べてはならない。なにしろあちらはご教祖様なのだから。


ところどころ、青山広子さんという方から送られてきた珍談の数々を紹介しているのも面白い。


それから先ごろ亡くなられた数学者・森毅さんと安野さんが、今から30年前の1980年に初めて対面した折の対談が掲載されている。何でも元々は少しずつ雑誌に載せて、あとで単行本にまとめるつもりであったのが、互いに憧れの人で話が弾みすぎ、それならいっそ泊り込みで話をして、一気に本にしてしまおうということになり、この初顔合わせの対談は、発表の機会を失ったままになってしまったそうだ。
そんなお宝物の対談まで入っているとは、ますます有り難い経典ではないか。
実は「かいわれのみち」の教祖様は、迷信や占いを嫌い、神を信じない。


もし、キリストが本当のキリストであれば、神さまが本当に神であるなら、私の言うこと、やることを許してくれるだろうという大前提が私にあるんです。私がやることがけしからんというのなら、お前は神さまではないと言おうと思っている。



世界で一番好きな絵本は、安野さんの「天動説の絵本」だ。
私も迷信も神も信じない。安野さんを信ずる。



d0116262_18185135.jpg

[PR]
by haruno-urarano | 2010-08-22 18:19 |

おべんとうの歌


いつもちっとも動かないから、万年運動不足。
でも散歩は大好きなんだ、ホントはね。
だから今年から、毎日散歩をすることにした。
だけど昨日はすんごく寒かったから、大事をとってお休みにした。
今日も風が強かった。けど出かけたよ。買い物があったからね。
外は思っていたほど寒くはなくて、お天道さんが眩しかった。


d0116262_22481984.jpg


もう水仙がこんなに咲いていた。欲張って大きく息を吸って、お腹いっぱいに香りをつめ込んだ。


d0116262_2252109.jpg


蝋梅の香りに、うっとりした。鼻をくっつけて、くんくんと匂いをかいだ。中毒になりそうだ。


d0116262_238097.jpg


葉の落ちた冬の樹は、いくら見ても見飽きない。上ばっかり見てるから、よくけつまずく。


d0116262_23124245.jpg


可愛い松ぼっくりも見つけた。松かどうか知らないけど、何となく、きっと松だ。


d0116262_23254050.jpg


あんまり空が青いので、得意のあの詩をそらんじた。




d0116262_23331059.jpg


           「うつむく青年」 谷川俊太郎 1989年 サンリオ より、「おべんとうの歌」



これは私の愛唱詩。
ああ今日は、魔法瓶のお茶も、梅干のおむすびも、そしてゆで卵も持ってこなかった。
小鳥のオペラも、今日は聞けなかった。

おべんとうはなかったけれど、やっぱり、
空が青いというだけで、
突然馬鹿か天才のように、夢中になってしまうのだ。

でも私はちっとも腹を立てられない。
あんまり簡単に、幸せになった自分に。


・・・・・


どうやってわかちあうのか
幸せを

どうやってわかちあうのか
不幸を


手の中の一個のおむすびは
地球のように
重い
[PR]
by haruno-urarano | 2010-01-02 23:27 |

十五夜お月さん

きょうの本はこちら



d0116262_18525475.jpg



                    「十五夜お月さん」 野口雨情・著
                            岡本帰一・装丁、挿絵
                         大正10年6月 尚文堂・発行
                         1993年8月 ほるぷ出版・復刻
                          
        


              



d0116262_18533385.jpg



うさぎの絵の描かれた張函入り。

20歳前後のころ、一番好きだった童謡作詞家は雨情でした。
童謡にとどまりません。「船頭小唄」だって歌えました。
ためしに今、歌ってみました。 ♪お~れはか~わらの枯~れすすき~・・・・♪
まだ全部歌えました。若い頃に覚えたものは忘れませんね。
雨情の故郷、北茨城へも行きました。
雨情だけでなく、北原白秋も西条八十も大好きでした。
もちろん高畠華宵には目がありませんでした。
とにかく、「大正ロマン」や「赤い鳥」に関するものは、何でも好きでした。
大正ロマンの音楽を集めたカセットテープも持っていました(当時はまだレコードとカセットの時代でした)。
自分も大正時代に生まれたかったと、真剣にそう思いました。
もし大正時代に生まれていても、きっと貧乏な家の子どもで本なんて買って貰えなかったろう。
なんてことは絶対に考えませんでした。

今は雨情より、白秋の方が好きかもしれません。
ほんと言うと、比べられません。でも白秋の、
「あかいとりことり なぜなぜあかい あかいみを たべた」
この一曲、この一曲が、涙が出るほど、いとしいのです。

でももうすぐ、今年も十五夜だから、今日は雨情が好きです。

今年の十五夜は10月3日、土曜日です。
どうかお月さんが、見えますように。
[PR]
by haruno-urarano | 2009-09-09 18:53 |

クリスマス・カロル

今日の本はこちら。

d0116262_1636473.jpg

                ディケンズ 「クリスマス・カロル」 村岡花子訳
                          昭和27年 新潮社



「毎年クリスマスがめぐって来るごとに私はディッケンズのクリスマス・カロルを読む。」
                (訳者の「あとがき」より)     



・・・初めてこの本を読んだ日、私は村岡花子さんの真似をすると決めた。
まだ今の半分も生きていなかった頃だ。
心にこびりついた汚いものが、涙と共にきれいさっぱり流れ去るような衝撃だった。
実際には何度か読まなかった年もあるが、既に20数回はこの行為を繰り返している。
何度読み返しても、「変わらぬ感激を受けるのは」、村岡花子さんと同じだが、
その感激が持続し、すがすがしい思いでいられる時間は、年と共に短くなった。


今年はとても重い気持ちで、この本を読み返した。
読み始めて11ページ目で最初の涙を流した。もちろん、まだ涙を流す場面ではない。
物語の展開を知り尽くしているからこそ、流せる涙である。
いつもと同じように涙は流れた。いつもと同じように感激も受けた。
だが、いつもと同じような、すがすがしい読後感に欠けていた。

非正規雇用者の首切り。外国人労働者の首切り。
彼らの耳にカロル(クリスマスの祝歌)は届くのか。本当にその歌が必要なところに。

秋には毎日新聞の記事で、アフガニスタンの少年の写真を見た。
12歳の少年は、厳しい眼差しで、まっすぐにカメラを見つめていた。
その手には、空爆で死んだ家族の遺体の肉片を持っていた。
少年以外の一家14人は、誤爆により、死んだ。
少年に、人を憎むななどと、誰が言えるか?
少年に、この世の中にクリスマスがあることなど、誰が言えるか?


説教話も教訓話もきれいごとも嫌いだ。
良い人でもないのに良い人ぶるつもりなど、はなからない。
ただ、いろんなことが理不尽だ。世の中は理不尽で出来ているんだ。


そんな思いで読み返したせいだろうか。
今年の「クリスマス・カロル」は、読んだ後でも、読む前と気持ちが変わらなかった。
それでもまだ、涙を流すだけの心は残っていた。


主人公のスクルージは、英単語の「scrooge=守銭奴」に納まった。
なぜ「奇跡」とか「可能性」という意味にはならなかったのだろう。
生まれた時から守銭奴だったわけではない。
人間は、出会ったものによって、いくらでも変わるのだ。
それだから守銭奴と化したスクルージだって、再び変わることができたのではないか。

今日の毎日新聞の「余録」は、この本について書いていた。以下転載。


「スクルージ」はケチ、守銭奴のことと辞書にある。C・ディケンズの「クリスマス・キャロル」の主人公の名が一般名詞となったのだ。なにしろ「並はずれた守銭奴で、人の心を石臼ですりつぶすような情け知らず」というキャラクターである。彼は言う▲「クリスマスはどういう時期だ? 金もないのにたまったつけを払わされ、一つ年を取って、これっぱかりも豊かになりゃしない。帳簿を締めれば、ほとんどとりっぱぐれだ」。めでたいなんてやつには心臓にヒイラギのくいを打ち込むぞ▲強欲な彼の名がクリスマスに世界中で語られるのは、イブの一夜で困窮する人への思いやりに目覚めた奇跡のおかげだ。その夜彼は精霊に連れられ、過去から未来の自分の姿と、貧しいが心清らかに聖夜を祝う人々を見て改心したのである▲物語が書かれたのは19世紀英国で「飢餓の40年代」と呼ばれた窮乏の時代だった。貧しく苦しむ人々に手を差しのべようというクリスマスの精神はすぐ広がり、ディケンズは「クリスマスを創始した男」とまで呼ばれた(池央耿(ひろあき)訳「クリスマス・キャロル」光文社古典新訳文庫)▲そのスクルージすら震え上がりそうなウォール街の強欲が行き着いた金融危機だ。それを震源とする世界不況が人々のつつましい暮らしに失業や倒産となって襲いかかるクリスマスである。「クリスマスなんてめでたくない」との悪態に思わず同感したくなる方も少なくなかろう▲しかし窮乏の時代が「クリスマス・キャロル」を生んだように、人がやさしさとぬくもりを分かち合うところに新たなクリスマスの奇跡も生まれよう。今夜がそんなイブになればいい。

出典毎日新聞 2008年12月24日 東京朝刊



ディケンズが「クリスマスを創始した男」であるなら、そのクリスマスは今に続いているだろうか。

スクルージはその後、「生きている人間でクリスマスの祝い方を知っている者があるとすれば、彼こそその人だと言われるようになった。」と、ディケンズは語る。

ディケンズの言う「クリスマスの祝い方」とは何か。
Wikipediaにこうある。

「クリスマスの祝い方」とは、豊かな者が貧しい者を助け、社会をよりよいものとすることである。


私は十代の頃、プロテスタントの教会に通っていた。しかし結局、キリスト教徒にはならなかった。未だに本当の「クリスマスの祝い方」も知らない。でも、多くの人のもとに平安なクリスマスの訪れることが、世の中の平安につながると思っている。
[PR]
by haruno-urarano | 2008-12-24 18:04 |

たべるトンちゃん

今日のお話はこちら

d0116262_1785815.jpg

                   「たべるトンちゃん」 初山滋
           原本:昭和12年 金蘭社/複刻:1993年 ほるぷ出版


日本の児童文学史を語るのに
欠かすことのできない童画家の一人、初山滋(明治30年ー昭和48年)。

奔放で反骨な精神を貫いた 江戸っ子の画家は
一方で 大変な食いしん坊でも あったそうだ。

d0116262_17273127.jpg

してみると 食いしん坊のブタの トンちゃんは
初山滋 その人だろうか・・・

d0116262_1731912.jpg

あけて みよう

古今東西、ブタというのは食いしん坊と決まっている。
それにしても トンちゃんの食欲は 異常すぎやしないか?

食べられるものなら なんでも食べたい
その気持ちは わからないでもないが。

ストーブの奴が 「この石炭は なかなか うまい」と つぶやけば

トンちゃんは 次の瞬間には もう
ストーブに化けて 石炭を食っているではないか。

シャボン玉だって 車に入れるガソリンだって
実にうまそうに 食う。

小鳥が鳴けば それは こんな歌に聞こえる。
d0116262_17484694.jpg


みんなが 自分に餌を与えるようにと
なんだかわからぬ 動物にも化けてみた。
d0116262_17444437.jpg

実は 努力するブタ、トンちゃんなのである。

d0116262_17504040.jpg


トンちゃんは 夢だって たくさん 見る。

お魚の親子が 相談している。
 「日曜日だから だれかの お腹の中へ ハイキングとしよう」
 「トンちゃんの お腹へ行こう」
それを聞きつけたウナギも
 「拙者もお伴したい」

すてきな 夢だね。

でもトンちゃん。
あんまり食べすぎるとね・・・
d0116262_17592358.jpg

ふとるんだよ。。。。。

よく太った ゾウカツより トンカツ うまそうだ
うりますよ ねだん よく

d0116262_1823631.jpg


 ***** ***** *****

昭和の12年。、7月に日中戦争が勃発しました。
その年の12月には、まだこんなナンセンスな児童書が出せたのです。

軍部が戦争を正当化するための宣伝や言論統制を行い、
田川水泡の「のらくろ」がベストセラーとなりました。

翌年から言論への圧力が厳しさを増す前の、
ぎりぎりの出版だったと言えるでしょう。

初山滋は戦時中、戦争を推進する国策には全く協力をせず、
仕事をほとんどしませんでした。

この、滑稽で無意味で大らかな児童書は、
食べることを愛した初山の、皮肉と反骨の精神から
生まれたのかもしれません。

何十年という時が流れ、
私たちはこの本を
ただ読んで、ただ笑うことができるのです。

 ***** ***** *****

私の持つこの本は、
ほるぷ出版による「名著複刻シリーズ」の中の一冊ですが、

2005年には「 よるひるプロ」という所から、復刻書が出版されました。
一冊2,415 円というお手頃価格です・・・
私はセットで十数万円モシタンダゾ~~(T0T)
[PR]
by haruno-urarano | 2008-07-06 18:47 |

空の名前

今日の本はこちら。

d0116262_1135381.jpg


  「空の名前」
  高橋健司 写真・文
  1992年 光琳社出版








驚異的な気温が続く中、部屋に籠もっているのは拷問のようでした。
ただでさえ、夏は・・・暑いのはキライなのに。

でも、夏の雲は好き。夏の夕立も好き。
遠い昔、近くの森の木に稲妻が落ちるのを目撃しました。
一頻りの夕立が止み、窓を開けた空に、虹が架かっているのを見ました。
厳しい暑さも、時にはそんなご褒美をくれるのです。

今年の夏はだけど、ひたすら茹だっているだけでした。
部屋に飾ってあるこの本の
青い表紙を恨めしげに眺めながら。

やっと仕事が終わった。さて、夏の空でも見に行こう。

でも今日は、関東は久しぶりのすずかぜ。
空にはどんより厚い雲。
蝉だけが、相変わらずミンミン、ジージー。

まあいいや。暑いのはキライだし。
もう秋になってくれても、ちっとも構わない私。

夏空の方は、この本を眺めて楽しむことにします。
[PR]
by haruno-urarano | 2007-08-18 11:56 |