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クリスマス・カロル

今日の本はこちら。

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                ディケンズ 「クリスマス・カロル」 村岡花子訳
                          昭和27年 新潮社



「毎年クリスマスがめぐって来るごとに私はディッケンズのクリスマス・カロルを読む。」
                (訳者の「あとがき」より)     



・・・初めてこの本を読んだ日、私は村岡花子さんの真似をすると決めた。
まだ今の半分も生きていなかった頃だ。
心にこびりついた汚いものが、涙と共にきれいさっぱり流れ去るような衝撃だった。
実際には何度か読まなかった年もあるが、既に20数回はこの行為を繰り返している。
何度読み返しても、「変わらぬ感激を受けるのは」、村岡花子さんと同じだが、
その感激が持続し、すがすがしい思いでいられる時間は、年と共に短くなった。


今年はとても重い気持ちで、この本を読み返した。
読み始めて11ページ目で最初の涙を流した。もちろん、まだ涙を流す場面ではない。
物語の展開を知り尽くしているからこそ、流せる涙である。
いつもと同じように涙は流れた。いつもと同じように感激も受けた。
だが、いつもと同じような、すがすがしい読後感に欠けていた。

非正規雇用者の首切り。外国人労働者の首切り。
彼らの耳にカロル(クリスマスの祝歌)は届くのか。本当にその歌が必要なところに。

秋には毎日新聞の記事で、アフガニスタンの少年の写真を見た。
12歳の少年は、厳しい眼差しで、まっすぐにカメラを見つめていた。
その手には、空爆で死んだ家族の遺体の肉片を持っていた。
少年以外の一家14人は、誤爆により、死んだ。
少年に、人を憎むななどと、誰が言えるか?
少年に、この世の中にクリスマスがあることなど、誰が言えるか?


説教話も教訓話もきれいごとも嫌いだ。
良い人でもないのに良い人ぶるつもりなど、はなからない。
ただ、いろんなことが理不尽だ。世の中は理不尽で出来ているんだ。


そんな思いで読み返したせいだろうか。
今年の「クリスマス・カロル」は、読んだ後でも、読む前と気持ちが変わらなかった。
それでもまだ、涙を流すだけの心は残っていた。


主人公のスクルージは、英単語の「scrooge=守銭奴」に納まった。
なぜ「奇跡」とか「可能性」という意味にはならなかったのだろう。
生まれた時から守銭奴だったわけではない。
人間は、出会ったものによって、いくらでも変わるのだ。
それだから守銭奴と化したスクルージだって、再び変わることができたのではないか。

今日の毎日新聞の「余録」は、この本について書いていた。以下転載。


「スクルージ」はケチ、守銭奴のことと辞書にある。C・ディケンズの「クリスマス・キャロル」の主人公の名が一般名詞となったのだ。なにしろ「並はずれた守銭奴で、人の心を石臼ですりつぶすような情け知らず」というキャラクターである。彼は言う▲「クリスマスはどういう時期だ? 金もないのにたまったつけを払わされ、一つ年を取って、これっぱかりも豊かになりゃしない。帳簿を締めれば、ほとんどとりっぱぐれだ」。めでたいなんてやつには心臓にヒイラギのくいを打ち込むぞ▲強欲な彼の名がクリスマスに世界中で語られるのは、イブの一夜で困窮する人への思いやりに目覚めた奇跡のおかげだ。その夜彼は精霊に連れられ、過去から未来の自分の姿と、貧しいが心清らかに聖夜を祝う人々を見て改心したのである▲物語が書かれたのは19世紀英国で「飢餓の40年代」と呼ばれた窮乏の時代だった。貧しく苦しむ人々に手を差しのべようというクリスマスの精神はすぐ広がり、ディケンズは「クリスマスを創始した男」とまで呼ばれた(池央耿(ひろあき)訳「クリスマス・キャロル」光文社古典新訳文庫)▲そのスクルージすら震え上がりそうなウォール街の強欲が行き着いた金融危機だ。それを震源とする世界不況が人々のつつましい暮らしに失業や倒産となって襲いかかるクリスマスである。「クリスマスなんてめでたくない」との悪態に思わず同感したくなる方も少なくなかろう▲しかし窮乏の時代が「クリスマス・キャロル」を生んだように、人がやさしさとぬくもりを分かち合うところに新たなクリスマスの奇跡も生まれよう。今夜がそんなイブになればいい。

出典毎日新聞 2008年12月24日 東京朝刊



ディケンズが「クリスマスを創始した男」であるなら、そのクリスマスは今に続いているだろうか。

スクルージはその後、「生きている人間でクリスマスの祝い方を知っている者があるとすれば、彼こそその人だと言われるようになった。」と、ディケンズは語る。

ディケンズの言う「クリスマスの祝い方」とは何か。
Wikipediaにこうある。

「クリスマスの祝い方」とは、豊かな者が貧しい者を助け、社会をよりよいものとすることである。


私は十代の頃、プロテスタントの教会に通っていた。しかし結局、キリスト教徒にはならなかった。未だに本当の「クリスマスの祝い方」も知らない。でも、多くの人のもとに平安なクリスマスの訪れることが、世の中の平安につながると思っている。
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by haruno-urarano | 2008-12-24 18:04 |

かげぼうし

今日の絵本はこちら。

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                「かげぼうし」  安野光雅  1976年  冨山房



子供のころ、影がとても好きでした。

いえ、影は今でも大好きですが、
子供のころは、影を自分の一部と感じていました。たぶん。


学校帰りに道を歩いていて、うしろから車が近づく音が聞こえると、
影がひかれぬようにと、
慌てて建物の影の陰に入って、影を守りました。


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そして影のことを車から守った自分を、
正義の味方のように思いました。たぶん。



影を見つけに、出かけてみました。


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形あるものには、何でも影がありました。


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木の枝の一本一本に、落ち葉の一枚一枚に、めしべの一つ一つに、
みんな影がありました。


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看板にも、自転車にも、影がありました。


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白鳥にも、おじさんにも、影がありました。


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車にも、家にも、影がありました。


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今は、もう・・・・・ 


風が冷たくなって
木の葉はみんな散って
空はどんより曇って・・・

 

この町にも、また、冬がやってきたのです。




冬になると、出番の少なくなった影たちは、
秘密の国に集まります。




そこは「かげぼうしの国」で、影のほかには
人間は入れません、
たったひとり、見張り番を除いては。



何にでも影があるのですから、
「かげぼうしの国」の冬は、それはそれは大にぎわいで、
毎日毎日、おまつりさわぎです。



見張り番の役目は、遠めがねで遠くを見張ることです。

ちょっとでも太陽が出そうになったら、
すぐに合図の鐘を鳴らさなくてはなりません。

でないと「かげぼうし」たちが、自分の持ち場につけませんから。


ところがある日、


その大切な見張り番が、「かげぼうしの国」からいなくなってしまったのです。



それはちょうど、

アンデルセンのマッチ売りの女の子が、
マッチを売りに町に来たのと、同じ日のことでした。


女の子は馬車にはねられたうえに、
靴を盗まれてしまいました。

誰もマッチを買ってはくれません。

あまり寒いので、マッチを一本すってみました。



すると・・・・


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この絵本は、

左ページには彩色画で「マッチ売りの女の子」のおはなしが、
右ページには切り絵で「かげぼうしの国」のおはなしが繰り広げられ、


最後に一つのおはなしにまとまります。


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どんなふうに一つになるか。
それは読んでのお楽しみ。



もし、「影の国」というものがあったら、
どんなことに都合がよくて、どんなことに困るか。
いろいろ想像を広げながら、
こんな国があったら、一度行ってみたいものだ・・・


と・・・、安野さんはそんなふうに思いながら、
この絵本を作ったそうです。


安野さん、安野さん・・・

ありがとう・・・・
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by haruno-urarano | 2008-12-18 19:08 | 日本の絵本

まくわうりと まほうつかい

今日の絵本はこちら。

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               あいうえおパラダイス「くわうりと ほうつかい」
                   二宮由紀子・作 / スズキコージ・絵
                        2008年 理論社



10月に第1刷が発行されたばかり。
そして昨日、「うららん図書館」の蔵書に加わったばかり。
ほやほやに温かい、「言葉のパラダイス」!


おはなしは全部で5つ。
「まくわうりと 魔法使い」
「みずうみと 三つ子の ミイラの ミステリー」
「むかでの むことり」
「めん好きの メンデルさん」
「もぐらの もうしこみ」


シリーズだけど、今まで知らなかった。
もちろん、コージズキンの新刊なので仕入れたのだけど。



まさに天国にはまったよ。もう生き返れない。


言葉とは、日本語とは、何と楽しいのだろう。


この喜びを、どう伝えよう。
この楽しさを、どう表現しよう。




そうなのだよ!


「とにかく 声にだして 読んでみて。」
「きっと ともだちにも 読んであげたくなるよ」
「ページをめくると、そこは 言葉のパラダイス」



帯の宣伝文句に、こんなに共鳴したことは滅多にない。

読みはじめて、すぐに決めた。全巻そろえる、って。

早く読みたい。「あ」で始まる話、「い」で始まる話、「う」で始まる・・・。

一番一番、興味があるのは・・・。



もちろん、「る」で始まる話!
しりとりの「る」には、さんざん苦しんだからね。


残念だけど、今は「ま」までしか出ていない。
早く早く早く、読みたいな!




つい先日、ある絵本作家のライブ講演会を聞きに行ってきたところ。
つい先日、今年の「新語・流行語大賞」発表のニュースを見たところ。



同じ日本語使いに生まれた者が、ある者は自ら天国を生みだす。
二宮由紀子さん、言葉の神さまか?それとも、まほうつかいか?


日本語よ。どうかこれからも、美しくあれ。愉快であれ。
日本語を慈しむ日本人に、育て。子供たち。
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by haruno-urarano | 2008-12-03 19:07 | 日本の絵本